謹述胸念

後生善所之儀、是非共に内心にはたと存置候間、心の及善根を致したく候。

『「若者」をやめて、「大人」を始める「成熟困難時代」をどう生きるか?』を読んで

何も思い浮かばない。

考えが整理されない。

私は成熟したい、大人になりたいと思っているがなかなかなれないなぁと常々思う。

ここでいう私の大人の定義は、何が正しいかを自分で考えて答えを出しているという意味で日々思っている。これがなかなかできていない。いろんな人の意見が自分の中を通り、その場しのぎで日々行動してしまっている。自灯明法灯明という禅語があり、これを身に付けるよう意識はしているが、意識するだけでは特に変わらないということが得られている。

著者の大人の定義は、自分の生き方が固まっている、年下を育てることに喜びを覚えるというような内容だったと思う。気がついたら価値観も定まってくるものなのだろうか。

おそらく「甘えの概念」が自分を大人にしない大きな原因なのだろう。

自分で何らかの決断を下すことはせざるを得ないだろうが、それに対しての反発があった際の反応が、大人か未熟かを分けている。

大人であれば、これこれこういう理由でと自分の信念を説明できるのであろうが、未熟だと反論ができない。他人の頭で判断を下している証拠である。

何に関しても自分の判断について自分で説明ができるようになることが成熟への第一歩だろうか。